2024年1月7日「わたしに何をしてほしいのか?」
2024年1月7日「わたしに何をしてほしいのか?」
わたしに何をしてほしいのか?
「イエスは彼にむかって言われた、『わたしに何をしてほしいのか』。その盲人は言った、『先生、見えるようになることです』。そこでイエスは言われた、『行け、あなたの信仰があなたを救った』。すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。」(マルコ10:51~52口語訳)
新しい年を迎え、心から主に感謝します。皆さまにとってこの一年が実り豊かな年となりますよう、主イエス様のお名前で祝福をお祈りします。
盲人バルティマイは、イエス様が通られると聞いて大声で叫び出しました、「ダビデの子イエスよ、私をあわれんでください!!」。人々は黙らせようとしますが、彼は構わず叫び続けました。ついにその叫び声はイエス様に届き、彼は主の前に出ました。するとイエス様は「私に何をしてほしいのか?」と訊ねたのです。奇妙な質問です。彼は答えました「先生、目が見えるようになりたいのです」。するとイエス様は、ただこれだけ聞いて「あなたの信仰があなたを救った」と言われ、その瞬間に彼は癒されたのです。いったいここで何が起きたのでしょうか?
バルティマイが発した呼びかけはヘブライ語の「ラボニ」で、新約聖書では二箇所しか出てきません。もう一箇所はマグダラのマリアが復活されたイエス様とお会いして、思わずすがりつこうとしたときに発した言葉です。意味は「ラビ」と同じ「先生」ですが、深い親密さと喜びが込められた言葉です。しかし、マグダラのマリアならばともかく、初めてイエス様に会ったバルティマイが、どうして「ラボニ」と呼んだのでしょう?
恐らく、彼は長い間イエス様を待っていたのでしょう。イエス様のうわさを耳にするたびに、イエス様のことを思いながら、来る日も来る日も待ちわびていたのです。ですから思わず「ラボニ」と呼んだ。これを聞いてイエス様の心は動かされたのだと思います。どれほど彼がイエス様を慕い求めていたか、それがイエス様にはわかったのです。それは「ただ治してくれさえすればよい」というご利益信仰では、もはやなかった。
祈っても祈っても、なかなか応答が得られない時、私たちの心は試されます。けれどもその忍耐の日々にこそ錬られ、形づくられる私たちの心があることを覚えたいと思います。(よ)