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2024年3月24日「ユダは嘘をついたのか?」

2024年3月24日「ユダは嘘をついたのか?」

ユダは嘘をついたのか?

イエスを裏切ったユダが答えて言った、「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエスは言われた、「いや、あなただ」。(マタイ26:25 口語訳)

 イエス様は十字架の死の直前、12弟子と過越しの食事をなさり、その席上、突然「あなたがたのうちのひとりが私を裏切ろうとしている」と言われました。弟子たちは驚き、口々に「主よ、まさか私ではないでしょう?」と言い出しました。彼らとてイエス様の身に危険が迫っていることは分かっていました。思わず訊いてしまった彼らの気持ちは理解できます。ところがイスカリオテのユダまでも「まさか私ではないでしょう?」と言い出すのです。一体これはどういうことでしょう?とぼけて、嘘をついたのでしょうか。自分だけ黙っていると怪しまれると思ったのでしょうか。彼がイエス様を裏切る意思は明白だったのではないですか。事実、この直前、ユダは祭司長たちに「あの男を引き渡せばいくらくれますか?」と交渉しています。

 しかし奇妙なことにユダはイエス様の十字架刑が決まるや否や後悔し、銀貨三十枚を返しに行くのです。そして祭司長らに拒絶されると首を吊って死んでしまいました。「えっ、お金目当てでイエス様を売り渡したんじゃなかったの?」と我々には不可解に思えます。

 ユダの行為については様々な推論がなされ、一説にはイエス様を窮地に追い込むことで奮起させ、超自然的なイエス様の力でローマ帝国を撃退して、ユダヤ人の国家を樹立しようとしたのではないか、とも言われます。真相は分かりません。ただ言えることは、ユダはイエス様が(あっけなく)十字架で死んでしまうとは思っていなかったのです。何か奇跡をなさるだろう、と思っていたのでしょう。ですから、もしかすると彼自身はイエス様を裏切っている意識はなかったのかも知れません。けれどもそれはユダの勝手な思い込みでした。

 ここで学びたいことは、神の御心は厳然として存在する、という当たり前の事実です。私の勝手な思い込みは、神の意思とは違うのです。けれども私たちはユダを笑えないと思うのです。神の御心を聴くことなく、自分の思いを通そうとしていないだろうかと、自ら省みたいと思います。(よ)

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