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2024年3月31日「律法は天の父の心」

2024年3月31日「律法は天の父の心」

律法は天の父の心

「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」(マタイ5:17~18)

 イエス・キリストは律法を完成するために来られました。そして十字架の上で私たちのすべての罪と呪いを身代わりに受けてくださいました。かつては律法によって罪に定められ、滅びるしかなかった私たちが、いまやイエス・キリストの十字架の贖いを「信じるだけ」で、罪の刑罰から免れるのです。これが救いの恵みです。ハレルヤ!!! 何と素晴らしいことでしょう。十字架の贖いを今ひとたび深く心に刻み、感謝したいと思います。

 さて、冒頭の聖句にある通り、イエス様が来られたのちも律法は無くなったわけではありません。そしてイエス様は十戒を心のレベルにまで引き上げたのです。すなわち実際に姦淫を犯さなくても心の中で情欲を抱いて女性を見る者は、すでに姦淫を犯したのであると(マタイ5:27~32)。これは性欲の否定ではありません。既婚男性が結婚生活を安全にまっとうするための、深い知恵と配慮が込められているのです。十戒には天の父の心が表されています。私たちキリスト者は「義とされるため」にではなく、父の心を知って、御心にかなった生き方をするために、十戒を大切にすべきです。ガードレールを目の端に入れながら運転すれば、崖から転落することはありません。もしガードレールを無視して運転するなら、それは大変危険な行為です。同様に十戒を日々心に留めるなら、人生の大クラッシュから免れます。
 
 掃除機で風呂の水を吸うことができるでしょうか? できるかもしれませんが掃除機が壊れます。それは本来の使い方ではないからです。取扱説明書にはそのような使用の仕方は書いてありません。同じように創り主なる天の父は、私たち人間がいかに生きるべきかをお示しになりました。十戒はその表れです。さらにイエス様は十戒を「主なる神を愛すること。隣人を自分自身のように愛すること」の二つにまとめました(マタイ22:37~40)。主を愛して主の戒めを日々心に留めましょう。(よ)

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